Eyes of silver〜闇の中の雷光〜第一幕

                         

 息を切らし細い路地を駆け抜ける。視線の先は薄暗い闇が広がっていて、まるで行く手を遮っているかのようだ。
「チッ、しつこい奴らだぜ…!」
 先頭を走っていた蛮が前方の闇を見据えたまま毒づく。
「…蛮ちゃん、何とか撒けないのっ?」
 蛮の少し後ろをついて走っている銀次が後方をちらちらと気にしながら声をかける。
「何とかしてー所だが、この状況じゃ…」
 細くて狭い道を逃げる蛮達を追って、十数人の屈強な男達が迫ってきているのだ。
既に 時刻が夕刻を過ぎている為、陽のある時間よりも周りの状態を判断し辛い。そして蛮は奪還した品を所持していた。それを依頼人に届けるまで破損させる訳にいかず、その品を守りながらの逃避行は思うように運んでいないのだ。
「…仕方ないな。銀次、文句はなしだぞ」
 しつこく追いかけてくる男達にうんざりとしたような声で呟いて、銀次のやや後ろを走っていた雷牙が立ち止まる。くるり、と銀次と蛮に背を向けるようにして追っ手の男達を正面に見据える。
「文句はなしって…雷牙、何するのっ!?」
 声をかけられた銀次は完全に後ろを振り返って、何かをするつもりの雷牙に問いかける。しかし雷牙はそれには答えずに両手を正面へ突き出した。   
 すると、雷牙の体がパチパチと音を立てて電気を発し始め、そこへ向かってきた男達は電気を放ち光る雷牙の姿に一瞬怯んで足を止める。その隙をついて雷牙は突き出した両手から電撃を迸らせて攻撃を繰り出した。
「おぉぉぉぉ…っ!!」
 雷牙の放った電撃が追っ手の男達に命中する。その天を貫くような音と焦げつく臭いに蛮も足を止めて後ろを見やると、電撃を喰らった男達はことごとく黒焦げの物体と化していた。
「オイオイ…派手にやり過ぎだろ」
 黒く焦げてしまった男達を憐れみの目で見ながら、蛮は呆れたようにそう言う。 突き出していた両手を下げてふぅ、と溜息を吐く雷牙の側へ銀次が駆け寄っていく。
「…オレは何とか撒こうって言ったのに。あ〜あ、あの人達真っ黒焦げだよ」
 雷牙が釘を刺したのも意味を成さず、プクーッと頬を膨らませて銀次は文句を言った。それを受けて雷牙はばつの悪いといった表情になる。追っ手を何とか出来ればという事項を優先した為に、銀次が何を思って『何とか撒けないか』と言ったのか考えられなかったからだ。
「…済まない、お前はなるべく傷つけずに何とかしたかったんだな?」
 じっと自分を見ている銀次に、雷牙はこれ以上彼の機嫌を損ねないように穏やかな声音でそう言ってやる。すると銀次はコクンと頷いて、いつの間にか側まで来ていた蛮に甘えるように抱きついた。それを蛮の方も当たり前のように受け止めて背中を撫でてやる。
「まぁ、過程はどうでも結果としてアイツらを何とか出来たんだからよしとしようぜ?」
「…うん…」
 そんな風に言ってくれた蛮に、まだ納得はしてないという表情であったが銀次はそう返した。抱きついていた蛮から離れてもう一度雷牙の方を見る。
「…ごめんね、雷牙?何とかしてくれたのに文句言っちゃって」
 そう言って一生懸命に謝る銀次を、雷牙は優しい眼差しで見つめて子供にするようにポンポンと頭を軽く叩く。それが銀次の謝罪に対する雷牙の返事と悟り、銀次はエヘヘとはにかみ笑った。
  銀次はこの強さと優しさを兼ね備えた双子の兄が好きだ。そしてもう一人の相棒である蛮の事も。この二人が銀次は大好きなのだ。
「さぁ帰ろうか…依頼人が待ってる」
「あぁ、こんな物騒な品さっさと依頼人に渡しちまおうぜ?」
 雷牙と蛮が同時に手を差し伸べる。数秒さえ惜しいというように差し出されたその手は、少しでも早く依頼を終えてゆっくり休もうと語っている。大好きな二人の伸ばす手を取る為、銀次は迷う事なく自分の手を伸ばした。
 その、銀次の手が二人の手を取るほんの一瞬、何故か突然躊躇する手が一つだけあった。 蛮の手が銀次の左手を掴む。銀次の右手は掴む筈だった雷牙の手を掴めず、空を掴んだ。
「…雷牙?」
 雷牙の手を取れない事を訝しんで、銀次が尋ねるように声をかける。雷牙の瞳は真剣そのもので、何かを感じ取っている事が判明する。
「…銀次、蛮、危ない…っ!」
  次の瞬間雷牙の叫び声がして、蛮も銀次も突風でも受けたみたいに後ろへ弾き飛ばされた。 その直後、とてつもなく大きな爆音が路地の中に轟いた。
 銀次が反射的に閉じた目を開くと、それまで三人のいた辺りが激しい炎に包まれていた。
「…雷牙…っ」
 訳が分からず銀次は立ち上る炎を瞳に映しながら、兄の名を呼んだ。蛮が今にも炎に飛び込んで行きそうな銀次を引き止める。
「止めろ、銀次っ…危ねぇよ!」
 爆発に巻き込まれた雷牙を心配する銀次の気持ちは解るが、轟々と燃え盛る炎の中へ行く事は危険極まりない。「何で…?何でいきなりあんな爆発が起こったの!?早く助けなきゃ雷牙が…っ」
  引き止めようとする蛮に抵抗しながら銀次が叫ぶ。突然起こった原因の分からない爆発に完全に動揺している。「…大方奴らが火種になるようなもんを所持してたんだろ。それが雷牙の電撃で誘爆したって所か」
 勢いを増し続ける炎を見据えて蛮が思い当たった爆発の原因を告げた。それを聞いて銀次の顔色が変わる。
「火種って…それじゃあ雷牙は…っ」
「ああ、気づいたんだろうな…黒焦げの奴らから火が発生してる事によ」
 おそらく銀次の手を取ろうとした瞬間躊躇したのは、その時偶然にも黒焦げになった男達が発火しているのを見てしまったからなのであろう。そして直感的に悟ったのだ、爆発する、と。
「だから雷牙は危ないって言ったの!?それでオレ達を後ろに突き飛ばしたっていうの…っ!?」
 蛮のシャツに掴みかかって銀次は必死に問いかける。蛮はその銀次の手をそっと自分の手で包み込んで、真っ直ぐに自分を見ている銀次の視線に己の視線を合わせた。そして沈痛な面持ちで頷く。それはどう見ても肯定の意味を示していた。
「そんな…そんな事って…」
 青ざめた顔で銀次が一歩、二歩と後ずさる。雷牙は爆発が起こる事を知ってなお、自分と蛮を巻き込まないようその場から突き飛ばしたのだ。
「…っ…!」
 弾かれたように蛮の手を振り払って銀次は立ち込める熱気の中へ向かおうとした。まだ炎に撒かれているであろう兄を助ける為に。だが、それはまたも蛮に引き止められ適わなかった。
「止めろって言ってんだろ…!今あの中に飛び込んだって何も出来ねーよ、悔しいけどなっ」
 兄の側へ行こうとする銀次を抱き込んで引き止めながら蛮は張り叫ぶ。
 蛮とて雷牙を助けられるものなら助けたいと思っている。しかし、どれ程の火種があったのか、一向に収まる気配を見せない炎が雷牙を助け出す術を奪っていた。
「だけどこのままじゃ雷牙が…っ」
「アイツは大丈夫だ…こんな事で死ぬような奴じゃない。それはお前が一番よく知ってんだろ?」
「でも…っ」
 雷牙は無秩序と混沌が支配する無限城の中で『雷帝』と呼ばれ、下層階であるロウアータウンを統率していた程の実力者だ。ここが無限城の外の世界とはいえ、死線を幾つも潜り抜けてきた彼がそう易々と命を落とすとは思わない。
 だが、銀次はそんな彼のたった一人の兄弟なのだ。きっと無事でいると信じる反面、もしも無事でなかったらと思うと不安になるのも致し方ない事であろう。
「…大丈夫だ、きっともうとっくに脱出してる。だから心配すんな…な、銀次?」
 蛮の腕に抱き止められたままの銀次がひっくひっくとしゃくり上げるような声で涙を流す。雷牙の無事を信じたい、きっと無事でいる筈だと、蛮の温もりに包まれながら銀次は強くそう思った。
「無事、だよね…?雷牙は助かってるよね…?ちゃんとオレ達の所に戻ってきてくれるよね、蛮ちゃん…?」
 縋るように蛮の腕に自分の腕を絡ませて、涙声のまま銀次は蛮に問うた。蛮が頷く気配が伝わってくる。
「ああ。それにもうここにアイツの気配はねぇ、すぐに脱出したんだろ。それはお前も分かるだろ、ここに雷牙の気配があるかよ?」
 蛮にそう言われて銀次は周囲に気を巡らせる。確かに炎の中にもその近くにも雷牙の気配は感じられなかった。
「ないよ…ここに雷牙の気配はない。じゃあ無事に逃げたって事?」
 後ろから抱きすくめる形の蛮に向き直って銀次が訊くと、蛮は穏やかに微笑んで頷いてくれた。
「だからよ…オレ達に今出来る事は奪還した品を無事に依頼人に届ける事だ。こいつを届ける事が突破口を開いてくれたアイツに応える事にもなる。違うか?」
 自分の胸ポケットに忍ばせていた依頼の品であるフロッピーディスクを指し示して蛮は銀次に確認を取るように訊く。 追っ手から逃れようとしていたのは全て破損させずにこの依頼の品を持ち帰る為だ。その為に追っ手を封じてくれた雷牙の気持ちに応えるには、蛮の言うように一刻も早くそれを依頼人の下へと運ぶのが最適であろう。
「…ううん、違わない。そうだよね、オレ達奪還屋だもんね…依頼は遂行しなきゃダメだよね」
「そういうこった…さ、行こうぜ?こんな依頼とっとと終わらせるに限る」
 くるり、と体を反転させて蛮が歩き出す。この路地の先にはスバルが停めてあるのだ。依頼人との受け渡しの場所はHONKYTONKとなっていた。ここからなら十五分くらいで着く筈だ。
「ば、蛮ちゃん待って…っ」
 スタスタと先を歩く蛮を追って銀次が駆け出す。だが銀次は一度だけチラと後ろを振り返り、雷牙の電撃を喰らった上に火種に誘爆して燃えてしまった男達の冥福を祈った。

 路地の中、蛮達のいる方とは逆―つまり来た道の側へと雷牙は逃れていた。 すぐに脱出出来たものの爆発の直撃を受けたので到底無事といえる状態ではなかった。全身に軽度の火傷を負い、右足の腿の一部は鋭利な刃物で抉られたかのように裂けて赤い肉を見せていた。
 だが、ここまで比較的軽傷で済んでいるのは雷牙が人並み外れた能力の持ち主だからであろう。とはいえ浅いと言える程でもない。
「…っ、油断した…奴らが発火性の強い服を着ていたなんて…ぐっ!」  
 ぐらりと前のめりに体が揺れ、地面へ倒れ込む。足を負傷した為に体を支えきれなかったのだ。 何とか側の壁に凭れるような形で起き上がりその場に座り込む。  
 爆発の原因は追っ手の男達が着ていた服にあった。彼らの着ていた服は皆、よく燃える素材を用いて作られていたのだ。
 衣類を形成する繊維には比較的燃え易い天然の繊維と燃え難い人工的な繊維とがある。前者がウールやシルクといった自然の植物や動物などから採取出来るものに対して、後者はナイロンやポリエステルなどの化学繊維などである。 おそらく彼らは前者である天然の繊維の中でもより燃え易いものを使用した服を着ていたのだろう。
 それ故電撃を受けた事によって至極簡単に発火し、爆発を引き起こしたに違いない。現に雷牙は彼らの衣服から火が出ているのを見たのだ。
(奴らはオレの能力を前もって知っていて巻き添えにするつもりであんな服を着ていたんだ…でなきゃ全員が同じスーツを着ている意味がない。早まった真似をしてしまったな…)  
 自分の浅はかな行動に溜息が零れる。壁に背を預け空を見上げると、そこは既に闇が支配し始めていた。
「…早く帰らないと…銀次が心配するな。それに蛮にも怒られる…」
 他人の痛みを自分の事のように共有する銀次と、意外と心配性の蛮。この二人を心配させるのは忍びないと、雷牙は何とか立ち上がろうとするが、全身の火傷の為に発熱し始め、体がだるくて重く感じられた。意識まで朦朧とし始める。
(…視界が霞む…熱が出てきたのか、体が熱い…頭もボーっとする…)
 思うように動かない体を路地の片隅に投げ出し、雷牙は必死に意識を保とうとした。だがそれさえもままならない。 そこへ、フラリと何者かの影が躍り出た。闇に溶け込んでいるかの如くに深淵を湛える黒衣の男を、雷牙は薄れゆく意識の中でぼんやりと見上げる。 姿を現した月の光を背に男が妖しく微笑った。
(赤、屍…よりによって何故こんな時に…)
 影…いや、赤屍が動く事も出来ない雷牙の側へと近づく。黒衣と同じく黒い帽子の広いつばによって隠れた赤屍の顔が雷牙の眼前に迫り、何か言葉を発した。だがその言葉を雷牙は聞き取る事が出来なかった。
 赤屍が細身のその腕に雷牙を抱え上げる。しかし雷牙に反応はない。ぐったりと赤屍に身を預けていた。既に雷牙の意識は途絶えていたのだ。
 そんな雷牙を腕に抱えたまま、赤屍は無言で路地から立ち去って行った―――――。


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