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喫茶店『HONKYTONK』のドアがけたたましくカウベルを鳴らしながら開け放たれる。その騒がしい音に顔を顰めて店主の波児がドアに視線を向けると、蛮と銀次がただならぬ様子で店内へ入ってきた。
「おぅ、どうしたお前らそんな形相で…」
「お仕事は終わったんですかぁ?」
波児とアルバイト店員のレナが声をかけるが、蛮はそれを無視してドンッ、とカウンターテーブルに激しく手を突いた。
「…依頼人はもう来てるか!?」
その行動にあっけに取られている波児に向かって蛮は怒鳴っているのと紙一重の声で問い質す。
「依頼人って今回のか…?まだ来てないぞ…」
「そうかよ…じゃあブルマン一つくれ」
波児の返答にハァーッと溜息を吐いて、蛮はカウンター席のスツールに腰を下ろした。銀次もその隣に同じように腰を下ろす。
「夏実ちゃん、ブルマン一つ頼むわ」
「はーい、マスター。銀ちゃんは何がいい?」
波児がカウンター内で洗い物をしていたもう一人のアルバイト店員の夏実に告げると、彼女は快く返事をして銀次にもオーダーを訊いてくれた。銀次がそんな彼女にブレンドを一つと注文すると、夏実は早速二人に温かい珈琲を出すべくお湯を沸かし始めた。
「あれ?雷牙さんはいないんですか…?それに銀次さん元気ないみたいだし…」
店内を掃除していたレナが雷牙の不在に気づいて二人に声をかける。 ピクン、と銀次の肩が震える。 蛮は再度溜息を吐き、その話題に触れるなとばかりに重い空気を纏わせた。
「…まさか奪還に失敗したのか?雷牙がどうかしたのか…?」
波児が二人の様子を見かねてそんな風に問いかける。すると蛮は、食って掛かるように波児のエプロンを掴み彼を睨みつけた。
「奪還は成功した…っ!だから依頼人が来てるか訊いたんだろーが!!」
「ああ、そうか…奪還は成功したのか」
蛮の剣幕に押されてたじろぎつつ、波児はそう返した。エプロンを掴んだ蛮の手が離れると触らぬ神に祟りなしとばかりに蛮から距離をおく。
ではここにいない雷牙の身に何かがあって、それこそ二人の様子がおかしい理由だろうと思い、波児は元気のない銀次の方へと声をかけた。
「銀次…一体どうしたんだ?奪還は成功したんだろう?」
波児に話しかけられた銀次がハッと顔を上げて反応する。どうやら落ち込みのあまり下を俯いていたようだ。 尋ねられた内容をどう話していいのか分からず、銀次は視線をオロオロと彷徨わせる。
「えっと…あのね、奪還は成功したよ。でも…でもね、逃げてる時に雷牙が…」
「やっぱ雷牙に何かあったのか?」
先を話すのを躊躇う銀次に波児は確信を持って再度それを問う。 銀次はコク、と頷いて不安げに瞳を揺らしながら、何があったのかを波児に話し始めた。
「…オレ達依頼の品を持ち出すのに成功してすぐに逃げたんだけど、追っ手の数が多くて雷牙が電撃でそいつらの足を止めてくれたの」
銀次が話している横で蛮はテーブルを見つめている。 必死に話す銀次の不安を少しでも軽くしてやろうと震えている彼の手を握り締めてやると、銀次は苦しさと嬉しさの混じった複雑な顔をした。
こうしている今も雷牙は一人でいると思うと、辛い気持ちが銀次の心を揺さぶる。自分が蛮を好きなように雷牙も蛮の事が好きだと知っている銀次には、自分一人が蛮の温もりを得る事は出来ないと思った。
「だけど、その追っ手は…何か火種になるようなものを持ってたみたいで、雷牙の電撃で誘爆して爆発したんだ…」「爆発って…お前らは無事じゃないか!?」
銀次の口から出た物騒な発言に、波児は驚きを隠せず声を荒げた。 見たところ銀次も蛮も無傷といっていい。ならば雷牙も無事ではないかとも思う。しかしそれでは二人の様子に説明はつかない。
「…雷牙がオレと蛮ちゃんを爆発の直前に爆心地から突き飛ばして助けてくれたんだ。だからオレ達は怪我一つしてない…でも雷牙は…っ」
そこまで話して後は声にはならなかった。涙が溢れ、隣にいる蛮に縋って銀次は嗚咽する。 抜け駆けをしているような気持ちは拭えなかったが、それでも一人でこの辛さを堪える事は出来そうになかった。 そんな銀次を優しく受け止めて、蛮は銀次の代わりに続きを波児に話す。
「爆発に巻き込まれた雷牙の生死は不明だ…オレも銀次もアイツは生きてるって信じてるがな。だがコイツを持ってる事でまたいつ別の追っ手がかかるか分からねー、早いトコこれを依頼人に渡さねーとヤベェんだ」
蛮はそう言って胸ポケットから奪還したフロッピーディスクを取り出して波児に提示した。 「一体ここに何が入ってるっていうんだ…?」
一見何の変哲もない普通の文書用のフロッピーディスクであるそれを手にとって、波児は不思議そうに呟いた。とてもすごいものが入っているようには見えない。
「…政治家の汚職事件に関するデータ、とか言ってたぜ。しかもヤクザ上がりの政治家のものばかりだとよ…」
口にするのも憚られるその内容を蛮は小声で波児に耳うちした。どこで誰が聞いているか分からないからだ。
「どうやら世間には到底公表できねーような悪質なものらしくてな、これを公表されりゃその政治家は失脚間違いなしのネタが満載だそうだ…」
「確か依頼人は雑誌記者だとか言ってたな、何でそんなもんを…」
蛮に倣って彼の耳元へ小声で波児は問いかける。いっぱしのライターがそんなとんでもないネタ を奪還屋を使ってまで入手しようとするのかが解 らなかった。
「依頼人が携わってる雑誌ってのがスクープを真実を包み隠さず暴く過激な暴露雑誌なんだよ」
依頼人はその雑誌で真実を暴く事によって悪質な政治家に嘆いている地域住民の憂いを取り除きたいらしい。それを再度小声で蛮は波児に教えた。
「はぁ…成る程な。えらく熱血な記者だな、その依頼人」
わざわざ危険を冒してまで人々の為に貢献しようという正義感溢れる依頼人の話に、波児は感動を通り越して呆れてしまう。そんな波児に蛮は、依頼人もかつて悪徳政治家の被害に遭ったのだという事も話してやった。
依頼人は子供の頃に父親が悪徳政治家の一人に騙されて借金を作り、その結果一家離散したのだと、蛮達に話した。その時からフリーライターになり世間に公表されていない汚職事件の真実を暴露してやろうという思いを抱いていたという。
この話を聞いた後、蛮だけは渋っていたが、銀次と雷牙は俄然やる気満々で、気は進まないものの依頼を受ける事となったのだ。 おそらく銀次と雷牙には無視する事が出来なかったのだろう、家族と引き離される痛みを知る者として。
その気持ちは両親の愛情を得られなかった蛮にはよく分からないが、大好きだった両親に捨てられ、育ての親とも離れ離れになった二人は他人事には出来なかったのだ。
「…そうだったのか。お前ららしいな…銀次、大丈夫だ。雷牙は無事でいる、アイツがお前を置いてどっか行っちまう訳がない…そうだろ?」
蛮の腕の中で泣きじゃくり続けていた銀次の頭を、波児は優しい手つきで撫でてやった。頭上に感じる温かい温もりに、蛮の胸に預けていた顔を上げて銀次は波児の方に視線を向ける。
「もう泣くな…そんな顔してたら雷牙が戻ってきた時に笑われちまうぞ?」
「…うん…」
穏やかな微笑みを浮かべて励ましてくれた波児にそう返事して、銀次は一生懸命泣くのを堪えようとする。涙を拭って縋りついていた蛮から離れてスツールに座り直した。
カランカラン、とカウベルが音を立てる。どうやら依頼人が漸く到着したようだ。仲介屋であるヘヴンの後に続いて、依頼人の男性が店内へと入ってきた。
「あら?早かったのねー…蛮くん、銀ちゃん」
「遅っせーぞ、ヘヴン!何してたんだよ!?」
既に約束の時刻を過ぎている事に対して謝りもしないヘヴンに、蛮はやや苛立ちを込めた声で文句を言った。ヘヴンは銀次の隣のスツールに腰掛けながらごめんごめん、と反省の色が見られない様子で謝罪する。依頼人は蛮の隣へと座った。
「あなた達二人だけ?雷牙くんはどうしたのよ?」
店内に雷牙の姿がない事が気になったのか、ヘヴンは本題に入る前にそう尋ねた。 再び銀次の表情が曇る。
これ以上銀次に事情を説明させるのは忍びない、だが蛮も自分の口から語ろうとは思えなかった。
「雷牙の事なら波児に説明したから波児から聞いてくれや…オレらはさっさと依頼の品の受け渡しをしてーんだよ」 吐き捨てるようにそう言った蛮を訝しみながら、仕方なしにヘヴンは波児に雷牙の事を尋ねた。 そして彼女が波児から話を聞いている間に蛮は依頼人に奪還してきた品を渡す。
「コイツがあんたの欲しがってたデータの入ってるフロッピーだ。確かに渡したぜ?」
依頼人はフロッピーを受け取り丁寧に自分の鞄に納めた。その様子を蛮も銀次も静かに見守る。
「確かに受け取りました…ありがとうございました、これでやっと私の望みも叶えられそうです!最初にお約束した通り依頼料は後日中身を確認してから入金します。では、失礼します…」
「おい、ちょっと待てよ…」
捲し立てるように謝礼と事務連絡を済ませて帰ろうとした依頼人を、蛮はその腕を掴んで引き止めた。
「…何でしょう?」
仕方なく依頼人はもう一度蛮の隣の席に座り、蛮に引き止める理由を求めた。
「この依頼を遂行中にオレらの仲間が一人犠牲になった、生死は不明だ…そいつの中身が正しかった時はそれ相応の額を用意しやがれ」
「蛮ちゃん…?」
こちらの犠牲を補えるだけの報酬を用意しろと暗にそう言っている蛮に、銀次が驚いたように問いかける。
「下手すりゃオレ達だって追っ手と一緒に爆発に巻き込まれてたかもしんねー…こっちは命賭けて仕事してんだ、テメーのその温い正義感がいつでもどこでも通用するなんて思うなよ!」
もしかしたら雷牙だけでなく銀次をも失っていたかもしれない、そう思うと蛮にはもらう物をもらったらさっさと立ち去ろうとした依頼人が許せなかった。 一言ビシッと言わずにはいられなかった。
「わ、分かりました…それでは後日改めて依頼料の交渉に窺います」
蛮の剣幕にびくついて多少どもりながら、依頼人はそう告げて再び立ち上がった。 チッ、と蛮が舌打ちする。蛮の揶揄に何の反論も返さないその態度も気に食わなかったらしい。 こんないい加減な男の為に雷牙が犠牲になったかと思うと、顔を合わせているのも声を聞くのも我慢がならなかった。
「…もういいからとっとと帰れ。うぜぇよ、テメー!」
怒りを露にした形相で蛮が睨めば、依頼人は竦み上がって逃げるようにHONKYTONKを出て行った。
「…蛮ちゃん、どうして怒ってるの…?」
様子を窺うように銀次が蛮の顔を覗き込んで尋ねる。蛮が急に激しく怒り出した理由が分からないのだろう。 すると蛮は、銀次の肩に手を置き真っ直ぐに琥珀の双眸を見つめた。 蛮の蒼い瞳に銀次の姿が映る。
「お前は…お前は悔しくないのかよ?あんな奴の依頼受けた所為で雷牙があんな目に遭ったんだぞ!?」
ギュウ、と力を込めて肩を掴まれ、銀次は痛みに顔を顰めた。慌てて蛮はその手を離す。 その、離れた蛮の手を今度は銀次が優しく掴んだ。
「オレだって悔しいよ…?でもあの人が悪い訳じゃない…悪かったのは爆発の間際になっても気づけなかったオレの方。だからオレが悔しいのは雷牙より先に状況に気づく事が出来なかった事なんだ…」
銀次は悲しげに自嘲の笑みを浮かべて語った。 そう、銀次はいつだって蛮とは違う答えを導き出す。銀次は例え自分がどんなに辛くても誰かを怨んだり憎んだりはしない、いや、そうする事の出来ない少年だった。
それに比べて自分は何と心が狭いのだろう、と蛮は己が情けなく思えてくる。
「ホントお前って奴は…お人好しにも程があんぜ、ったく…」
我が身の不幸よりも他人の不幸に心を痛めるこの心優しい少年が愛しくて堪らない。 蛮は先程まで荒れていた心がすっかり落ち着いているのを自覚して、内心で意外と単純な自分を笑った。
「…蛮ちゃん?」
込み上げてくる衝動を抑えきれず銀次の体を抱き寄せた蛮の腕の中で銀次は間抜けな声を上げる。
「雷牙が早く戻ってくるといいな…」
「…うん」
耳元にそう囁かれて銀次は、蛮に相槌を打ってその腕に包まれたまま瞳を伏せた―――――。
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