Schewi‐gen
1
漆黒の闇世の中、噎せ返るような悪臭とぴりりとした緊張感が漂っている。一瞬でも気を抜いたら最後、辺りに異臭を放つ今はもう動く事のないものの仲間入りだ。
「…くっ!」
今この場に確認出来る気配はあと僅かだ。もう少しでここから離れられる、そう思いながらオミは構えたボウガンの矢を放った。
「…ぐぁ…っ」
「うっ…」
矢が命中したのと同時に別方向からも喉を詰まらせたような呻き声が上がった。
オミがその方角を見やると、細いワイヤーを首に食い込まされて崩折れる男が見える。その背後にワイヤーを構えたヨージがいた。
「これで最後かぁ?ここにゃもういねーよな…」
慎重に辺りを警戒しながら、ヨージはオミの方へと向かう。漂う異臭に顔を顰めるヨージにオミも周囲を警戒したまま近寄る。
「…まだだ!」
「え…?」
暗闇の中から上がった声に、ヨージとオミは同時に驚きの声を上げる。ひらり、と鋭い一閃が暗闇を凪いで、直後に短い断末魔の悲鳴が上がった。
「アヤくん…ごめん、油断してた」
「いや…無事ならいいんだ」
迂闊にも残っていた敵の気配に気づけなかった事を謝るオミにアヤはそう返す。
「何とか完了だね、これ以上騒ぎになる前にここを離れよう」
紫苑についた血を拭き取って鞘に収めているアヤへ、オミは急かすように声をかける。その理由は至って簡単だ。こんな光景の中に長いしたくはないのだ。それはアヤとて同じ事だろう。
「帰ろうぜ、アヤ。今回はターゲットが多過ぎたしな…こんな血生臭い所、一刻でも早くおさらばしたいぜ」
そんな風に言う様子から、ヨージもオミと同感なのだろう。アヤの返事も待たずにオミとヨージは帰途に着こうと足を進入してきた方向へと進めた。
だが、どうした事だろう。アヤはそこを動こうとはしなかった。それどころか緊張を解かぬまま先に帰ろうとした二人に制止の声をかける。
「待て…ケンの姿が見えない…」
アヤはそう言いながら、辺りを見回し共に戦っていた筈の姿を探すが、目で確認出来る範囲にはいないようだ。
「何ぃ!?あいつ、何もたもたしてんだぁ?」
「急がないとここもすぐ見つかってしまうよ・・・っ」
ヨージとオミは口々にアヤの言葉に対して反応を返す。勝手な行動をしたケンに呆れた声を上げるヨージと、ここから逃れるチャンスは今しかないのにと言わんばかりに視線で訴えるオミに、アヤは短く息をつく。
「…オレが探しに行こう、お前達は先に戻れ」
アヤのその発言に、一瞬二人は顔を見合わせた。
普通ならここで『勝手な行動を取る方が悪い、先に戻っていれば勝手に戻ってくるだろう』位の事は言ってのける筈のアヤが、自ら探しに行くと言い出すとは思いもよらなかったのだろう。
「でもアヤくん一人に行かせるのは…」
「全員で行くより俺一人の方が効率的だ…いいから先に戻れ」
自分たちだけ先に戻るのは気が引けると言おうとしたオミの言葉を遮って、アヤは再度先に戻るように告げた。その瞳は至極真剣で、有無を言わせぬ迫力を秘めている。
「…そうか、んじゃそうさせて貰おうぜオミ」
「…うん、でも気をつけてね…アヤくん」
おそらくこれ以上何か言ってもアヤは聞き入れはしないだろうという事と、ヨージがアヤに任せるという事でオミは納得はいかないもののその通りにする事にした。
けれどこれでアヤの身に何かあっても困るので、オミは念押しするようにそう言って注意を促す。
「ああ…分かっている」
一言短くそう返すと、アヤは踵を返して夜の闇の中に姿を紛らせていった。
アヤが去った後にはヨージとオミが残され、辺りを乾いた風が吹き荒んでいる。
「ケンくんが無事だといいんだけど…大丈夫かな?」
「ああ…」
一人はぐれたケンを心配して、オミはボソッと呟いた。それにヨージが相槌を打つが、表情は重い。
オミはというと戦闘となると突出してしまいがちのケンが無理をしてるのではないか、踏み込んではいけない所まで踏み込んでいまいかと気になって仕様がない様子だ。
「けどよ、オミ…気付いてるか…?この頃のケンの様子…」
眉を寄せて、重い表情のままでヨージはそう言った。オミがそこまで危惧するという事は、それだけ露骨に近頃のケンが危なっかしいという事だ。
「何となくは…その事も心配なんだよね…。早まった事をしてなきゃいいけど…」
ヨージの言葉が何を告げているか心当たりがあるオミは、更に表情を曇らせて呟く。
「あいつのこの頃のターゲットの仕留め方…直視できるようなもんじゃない…」
「うん、本当…正直に言ってやりすぎだと思う…」
思い出しただけでも、最近のケンの仕留め方は常軌を逸しているとしか言えない程の酷さだ。
「何がケンくんをあんな風にしてるんだろう…?悩みがあるなら相談してくれればいいのに…」
「一人で考え込む癖はいつもだが…どうせ俺達には言わねぇさ…」
ケンは悩みを溜め込んでしまう嫌いがあった。誰にも相談しないで一人で解決しようとする。それはただならぬ人生を送ってきたヨージとオミにも、そしておそらくはアヤにも言える事だろうが、 特にケンはその傾向が強いように思われるのだ。
きっと、同じ修羅の道を歩んできた仲間である自分達にさえも、ケンは自ら進んで悩みを打ち明けようとはしないだろう。
「けどオレが気になってんのはそれだけじゃねー…」
「…どういう事?」
ケンの事以外にヨージは何が気がかりだと言うのだろうか。その言葉の意図を探るように、オミは問いかけた。
「アヤだよ…」
「アヤくん…?アヤくんがどうだって言うの…?」
先程姿の見えないケンを探しに行ったアヤの名が出て、オミは今度はヨージの言いたい事を把握出来ずに疑問を投げかける。
「…さっきだってケンがいない事に気がついたのは奴だ…いつもなら大体お前だろう…?」
ヨージの言葉にオミはハッとなり、確かにそうだと思った。普段、突出するケンの不在に気付くのは大概オミだった。逆にアヤは言われるまで気付かない事もあった。
それだけで見ても、今回の事は十分不思議である。
「もう一つつけ足しゃ、アヤはいなくなったのがケンじゃなけりゃ気付きゃしなかっただろ」
それはつまり、それだけアヤが自分達よりもケンの事を見ていたという事だ。様子がおかしい事をも見抜ける程に、気にかけていたという事だ。
「…それって、アヤくんはもしかしてケンくんの事を…?」
「多分な…まぁ本人は気付いちゃいねぇだろうが…」
おそらくアヤはケンに対して特別な感情を抱いているのだろう。故に気付いたのだろう、ケンの内の異変に。それを何となく理解して言葉を濁しつつ尋ねるオミに、肯定する事でヨージは同じような事を考えていた事を示した。
「だとしたら尚更心配だよね…今のケンくんはとても不安定な状態だし…」
「…ああ…こんな最も厄介な時期に、最も厄介な奴にあいつは…」
わざと言葉を濁すヨージだが、何を言いたいのかは聞かずともオミには理解出来た。言葉にするには余りに残酷で、そうせざるを得なかったのだろう。
「何だか酷くやるせないね…苦しむ事が目に見えてる恋なんて…。何とか助けてあげられないのかな…?」
共に死地を生き抜いてきた仲間の苦しむ姿を見たくない、そんな一心でオミはヨージを見上げる。
「…こればっかりは…どうにも出来ないだろ…本人次第だろうな…」
出来るものなら助けてやりたいとはヨージも思っている。だが、これは当事者でない者が軽々しく口を挟んで良い問題ではない。自分達にしてやれる事など、大してありはしないのだ。
「この地獄で…信じられるものは差し伸べられる暖かい腕なんだと…ケンが気付かねぇ限り…アヤは…」
どんなに自分達が力になろうとしても、ケンが救いの手に気付いて受け入れない限りは、どんな努力もただの徒労に終わる。ケン自身が救いの手を求めなければ、意味がないのだ。
「そう…だね…僕達には見届けるしか出来ない、二人がどういう決断をしてどう変わっていくのかを…でも、それってとても辛いね…」
オミの頬を一筋の雫が伝う。この先想像もつかない苦しみを一人で背負わねばならないアヤを思うと、その痛みがオミの胸をも痛めたのだろうか。眉を寄せて微かに瞳を潤ませるオミの姿を見ていられず、ヨージは自分の腕の中にオミを引き寄せた。
一瞬驚いてヨージを見上げたオミは、しかしすぐにその顔をヨージの広い胸に包まれる。
「…俺達は…まず俺達の幸せを見つけよう…オミ」
優しく自分を抱きしめるヨージの温もりに安堵を覚えながら、オミはヨージの言葉を静かに聴いた。
「それで…俺達にとっての光を見つけられたら…あいつらをそれに導いてやろうぜ…」
「…うん」
心地良く、ヨージの言葉がオミの体に浸透していく。それだけで、未来への恐怖や不安も吹き飛んでしまう、そんな気さえする。
「Weiβは四人で一つだ…だから一緒に堕ちるんじゃなくて…一緒に、俺らだけの幸せを手に入れよう」
きっと他人には分からない。自分達が歩んできた道の重さも、深き業を背負い続けなくてはならない運命も…。
けれど自分達はそんなに強くない。そんな生涯の中で、互いが互いを支え合って、そこに僅かな光を求める事は罪ではない筈だ。
人は一人では生きてはいけないのだから…。
「誰に認められなくてもいい…俺達だけの、幸せを…見つけよう…」
「うん…そうだね…ヨージくん…僕達だけの…アヤくん達だけの幸せを…」
力強く抱きしめるヨージの腕に縋るように、オミは自分を包み込んでくれるヨージの体を抱きしめた。
2004,7,23 up
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