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ヨージ達と別れた後、アヤは来た道を戻りながら途中ではぐれてしまったケンの姿を探した。出口を目指す際に始末してきた者達が地べたに這い蹲り血生臭い香りを漂わせている中を、言いようのない焦燥感に駆られながら、それでもけして見逃すまいと必死に目を凝らして駆け抜ける。
「…っ、ケン…何処に…何処にいるんだ…っ?」
アヤの目に映るのは物言わぬ死体と化した敵の姿ばかりで、未だケンを発見するに至らない。それどころか、漂う臭気と異常な光景に正気を保っていられなくなりそうだった。もし、アヤにケンを探すという目的がなければ、とっくに精神に異常をきたしてもおかしくないと言えるような、そんな惨状がアヤの眼前にはあった。
危険だ、とアヤは思った。こんな光景の中に長くいるのはリスクが大きすぎると、これまで幾度も自らの手を血で染めてきたアヤは、直感的にそう感じたのだ。そしてその最たる危険は、今まさにケンに迫っている。
(おかしい…これだけ探しているというのに、ケン…お前は何処で何をしてるんだ…!?)
脳裏を離れない嫌な予感に追い立てられるように、アヤはただケンの姿を求めて死体と血の臭いで彩られた通路を走り抜けた。
肉と骨を絶つ音と共に、臭気を放ちながら血飛沫が体を貫かれた者から噴き上がった。その感触をどこか冷めた表情でバグナクを操るケンの体中に、返り血が飛び散る。
それでもケンは動揺一つせずに、冷めた目のままで死体となった者をぼんやり眺めている。
(…人って…ホント、簡単に死ぬんだな…)
凶器となったバグナクを敵の体から抜き取ると、その体は力なく地面に崩れ落ちた。つい一瞬前まで生きて動いていた者が、まるで糸の切れたマリオネットのように崩折れる姿に、ケンは退屈だと言うような顔で溜息をついた。
「…つまんねぇな…張り合いなさ過ぎだぜ…」
一人ごちるように呟いて、ふと目に映った己の拳を見やる。リーチの短い接近戦向きの武器であるバグナクでの攻撃は、生々しくケンの拳にその痕跡を残していた。
(…ああ…この手も、この身体も真っ赤だなぁ…ま、こんだけ殺りゃあ…当たり前か)
多くの返り血を浴びた自分の体を見つめながら、ケンはぼんやりとそんな事を考える。既に人を殺す事に麻痺した心は、人並みの反応をケンから奪っていた。
結局ターゲットのいた部屋の付近まで戻ってきたアヤは、より一層強い異臭を放っている部屋を発見し、そこに言い知れぬ不安を覚えて部屋の入り口からそっと室内に視線を巡らせた。
扉の隙間から様子を窺うと、その部屋はこれまで通ってきた通路よりも更に凄惨な光景であった。こういう光景に慣れざるを得なかったアヤでも思わず目を背けたくなるようなその室内は、辺り一面が赤一色に染まっている。
(何だ…この部屋は…!?ドア…壁、床…まるで絵の具で塗りつぶされたみたいに赤く赤く染まって…これが全て人の血だと言うのか!?)
異様な異臭を放つ赤色に、アヤは自らの目を疑わずにいられない。だが、その赤い中に佇む姿を認めて、アヤは更に驚愕した。
(…あれは、ケン…?何故こんな所に…!?)
目も眩むような赤の中に見つけたケンの姿を、双眸を見開いてアヤは凝視する。血飛沫を浴びてなお表情を動かしもしないケンに、アヤの中の不安は募る。
「ケ…」
そのまま放っておけないとアヤは声をかけようとしたが、すぐに声を飲み込んだ。固まったようにそこから視線を剥がせない。
視線の先のケンが自分の拳を見つめたまま、微かに、歪んだ微笑を浮かべるのを、アヤは見てしまったのだ。
「う…っ」
途端に胃から押し上げるような強烈な吐き気を覚えて、アヤはその場に蹲った。基本的にミッション前後は食事を取らない為、吐く物のない胃からは結構な量の胃液のみが吐き出される。
苦しげに眉を寄せて、それでもアヤは立ち上がりもう一度室内へと視線をやった。やはり許容できる範囲の範疇を明らかに越えた光景だ。
(こんな…こんなおぞましい光景を…アイツが?たった一人でこんな…ケン、何故こんな事を!?)
赤く染まった部屋の中で佇むケンを前に、アヤはひどくなる一方の焦燥感と危機感を抱えたまま、地に縫い止められたように動けなくなった。
アヤが室内の外で様子を窺っているとは露とも知らずに、ケンはまだその場を離れようとはしなかった。何を考えているというのか、ただじっと自分の拳を見つめて立ち尽くしている。
アヤは動く事が出来ないまま、そんなケンの様子を見続けていた。叶う事なら、今すぐにでもケンの側へ行きたいというのに、心と裏腹に身体は硬直から解けない。
そうしてどれだけ経ったのだろうか、ふいにケンがじっと見つめていた拳を動かした。その一連の動作をアヤが見守っていると、ケンは自分の顔の前まで拳を上げて、あろうことか、拳にかかっている返り血を舌で舐め取った。
「…っ…げ…やっぱ鉄の味しかしねぇな…」
そう呟いて不味いと言うように顔を顰めた。
(…血なんか、美味い訳ねぇか…分かってた事なんだけどなぁ…。でも、何か…)
一瞬嫌そうな顔をしたにも拘らず、ケンは再び舌を拳に這わせる。頭では冷静な事を考えながら、それでも血のリアルな感触に病み付きになったかのようにケンは、ペロペロと拳についた血を舌で掬った。
突如目の前で繰り広げられた新たな異変に、アヤは背筋が凍るのを感じながら、驚愕に震える。
(…正気なのか…!?こんな惨い始末の仕方に…今、アイツの取っている行動は…っ)
どう見ても正気の沙汰ではないケンの行動を目の当たりにして、全身が震え上がるのを叱咤し、アヤは硬く縫いとめられていた身体を奮い立たせる。
(駄目だ…こんな事…止めさせなくては…!!)
ケンの姿を見失ってから何度も感じていた不安を払拭するように、アヤは声の限り、静かに堕ち往こうとする彼の人の名を呼んだ。
「…ケン…っ!!」
全身に鳴り響いて訴える警鐘を聴きながらアヤは、重い扉を開け放ってケンのいる室内へと飛び込んだ。
04,9,8 up
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