5

 夜がすっかり明け、窓から微かな光が差し込む頃、雷牙は心地よい眠りから目覚めた。瞳に白い天井が映り、いつの間にやら眠っていた事を悟り、起き上がろうと布団に手を伸ばした。  
 そっとベッドの上へ起き上がると、腰から背中へと鈍い痛みが走る感覚を覚えて雷牙は眉根を寄せた。
「…っ」  
 あまりの痛みにそれ以上動けず、雷牙はそのまま硬直してしまう。  
 唐突に、もぞ、と雷牙の隣で人の動く気配がした。体を動かせないので雷牙は、首だけを音のした方に向けて音の主を確認しようと試みた。  
 気配は赤屍のものだった。雷牙の寝ていた隣で眠っていた事が窺える。動いた気配というのはおそらく彼が寝返りでも打った為だろう。
(赤屍…?どうしてこの男がオレと同じベッドに…)  
 まだ意識が完全に目覚め切っていないのか、雷牙は赤屍と一つのベッドで寝ている理由が分からなかった。  
 そもそも何故自分が赤屍といるのかも曖昧で。  
 雷牙は昨日の自分の行動を記憶から引き出すべく、思考を巡らせた。  
 確か一昨日の夕刻にはまだ蛮達と奪還の仕事をしていた筈だ。その時に追っ手の男達を足止めするべく力を使い、彼らの身に着けていた発火性の強い衣服が誘爆して爆発に巻き込まれたのだ。  
 その後、負傷の為に意識を失い、気が付けばこの場所にいた。  
 赤屍が部屋に入ってきて、ここが彼の家であると判明した。そして、自分を助けてくれた事を教えられた。   
 けれど何故助けられたのか分からなかった雷牙は、彼にその理由を尋ねた。すると彼は初めははぐらかしたものの、『貴方が好き』だからだと、そう答えた。  
 しかし雷牙には、簡単に彼の言葉を信用し受け入れる事は、当然ながら出来なかった。 自分が想いを寄せるのは彼ではなく、相棒であり仲間でもある蛮であったからだ。 だがそれでも、赤屍は雷牙への想いを止める事は出来ないと、そう穏やかに優しく、告げた。
 あまりに赤屍の態度や言葉が優しくて、一度合わせてしまった視線を剥がせなくて、雷牙は彼の胸に縋ってしまった。叶わぬ蛮への気持ちを癒そうと、本能が雷牙を赤屍に縋らせたのだ。
 そして昨夜、雷牙は赤屍に抱かれた。 想いを寄せている蛮にさえ触れられた事のない場所を愛撫され、処女だった躯を、優しく優しく犯された。
 触れてくる彼の手が暖かくて、どんなに自分がこの男に想われているのかを、知った。 赤屍の腕に包まれていて、蛮や銀次と共にいる時と同様に、いや、ともすればそれ以上に自分の心が満たされていった。
 嵌まる、というのはこういう事をいうのだろう。
 蛮への想いはすぐには消せないものの、最早この温もりを手放せそうにない。 蛮にとっての特別な人は銀次で、銀次にとっての蛮もそうだという事は明白だ。ならばいつまで経っても雷牙の想いは一方通行でしかない。
 赤屍はそんな雷牙を見ていたくないと言ってくれた。好きだと、愛していると言った。 自分に愛を囁く彼の腕の中は心地良い。それは自分が確実に赤屍という男に惹かれ始めている何よりの証拠だ。
 だから雷牙はベッドの中で赤屍にその身を委ねた。生まれて初めての、それも男同士での性行為に抵抗がなかったとは言えないが、それでも雷牙は彼の想いに応える事を選んだのだ。
 そうして彼の腕の中で心地の良い眠りに堕ちて行き、今に至ったという訳である。
(…そうだった、オレはこの男と…)  
 隣に眠る赤屍を視線の端に捕らえてそんな事を考えると、昨夜の自分の痴態を思い出してしまい、雷牙はカーッと頬を赤く染めた。『雷帝』として恐れられている雷牙でも、初めて他人と交わったという経験は恥ずかしいもののようだ。  
 とてもまともに赤屍の顔をみる事は出来そうになく、雷牙はふい、と視線を逸らせた。
「…急にそっぽを向くなんてつれないですね、雷牙君」
 次の瞬間、左側から突然そんな声が聞こえて雷牙は、逸らした視線を隣の赤屍へと戻す。 眠っていると思われていた赤屍の視線と雷牙の視線が合わさり、雷牙は驚いて表情を崩した。 目をぱちくりと何度も瞬きをして、まじまじとすっかり目覚めている様子の赤屍を見つめてしまう。
「お早うございます」
 赤屍は目前の雷牙に穏やかな声音で挨拶を交わした。甘く優しいその声はどこか昨夜の余韻を残しているようで、雷牙の頬は更に紅潮する。
「…ア、アンタいつから起きてたんだよっ!?」
 確か自分が起きた時にはまだ彼は寝ていた事を確認 している。ならばおそらくは一人で逡巡している間に起きていたのだろう。  
 だが起きていたなら何故もっと早くに声を掛けなかったのだろうか。それを疑問に思ったので雷牙は顔を赤くしたまま尋ねた。
「貴方が目覚める少し前には起きていましたが…?」  
 雷牙の質問に赤屍がそう答える。それは、とどのつまりは赤屍は雷牙が目覚めるよりも早くに起きていて、寝たふりをしつつ一人逡巡する雷牙の様子を見ていたという事だ。  
 それを理解した途端、雷牙の胸にますます羞恥心が広がり、赤くなっていた顔は茹で上がったように更に赤さを深くした。
「…っ…、何してたんだよ、アンタっ…」
 恥ずかしさのあまりに上手く言葉に出来ないが、雷牙は赤屍にどういうつもりでそんな事をしていたのかと視線で訴えた。
「クス…くるくると表情を変える貴方が余りに可愛らしかったので、声を掛けるのも忘れて見惚れてしまいました…気に触りましたか?」  
 いつの間にやら雷牙の隣に起き上がっていた赤屍は、真っ直ぐに雷牙を見つめてそう語った。そう言われて、雷牙は耳までをも朱に染めて驚きと戸惑いの表情で赤屍を見つめる。
「なっ、なっ…アンタ何言って…っ、そんな、顔でオレを見るな…」
 自分を見つめる赤屍の穏やかな表情に、昨夜の事が夢でも幻でもないと教えられているようで、雷牙は再度顔を背けようとした。 が、その逃げを打つ顎を赤屍の細い指に捕らえられそれは適わなかった。
 視線と視線がまともに合ってしまう。心臓がバクバクと早鐘を打ち、頭は熱に浮かされているかのようにぼうっとしている。
 それはまるで恋という名の病に冒されたような感覚で。
 この瞬間に雷牙は知った。気づいてしまった。今己の心を占めているのは蛮ではなく、目の前のこの男なのだということに。  
 大切で大切で堪らないものをふんわりと包み込んで守るように、赤屍が抱き寄せるのを、雷牙はもう拒みはしなかった。
「心から貴方を愛しいと思っています…貴方が好きです、雷牙君」  
 守られるだけの存在でいる自分は好きではない、けれど彼の腕の中はとても暖かくて心が安らいだ。その腕の中で雷牙は穏やかに笑いながら、込み上げてきた気持ちを赤屍に伝えた。
「…アンタ馬鹿だよ…オレなんかをそんなに好きになってさ」
「そうかもしれません…ですがこの気持ちを偽るなど私には出来ません…」
「…本当に、馬鹿だよ…」  
 お互いに顔を見合わせて微笑みながら、そんな会話をして。
 赤屍の唇が雷牙のそれに触れるのと、雷牙が赤屍の背に腕を回したのは、ほとんど同時だった―――――。

「…やはり帰るんですね、彼らの所へ」  
 身支度を整えている雷牙に、赤屍はそう声を掛けた。 雷牙が赤屍に助けられてから今日で四日目である。だが、回復能力が人並み外れて高い雷牙はもうほぼ完治している状態であった。
「あんまり長居をするとアイツらが心配する…」  
 既にのっぴきならないくらいに銀次を心配させているだろう事は承知している。それになんだかんだといっても蛮もかなりの心配性であった。仲間である彼らをこれ以上心配させるのは忍びない。  
 厚手の綿ジャケットを羽織り部屋の外へ向かおうとする雷牙の、その腕を、赤屍は己の方へ引き寄せ背中から雷牙を抱き込んだ。  
 急に動きを止められた雷牙は抵抗する間もなく赤屍の腕の中に納まってしまう。
「…赤屍、いきなり何を…っ」
「返したくありません、貴方を…」  
 抗議を投げかける雷牙の言葉を遮り、赤屍は腕の中の愛しい存在に、そう、呟いた。しかし、こればかりは雷牙も譲る事は出来ない。自分の帰りを待つ存在を無視するなど出来はしないのだ。
「…オレはまだアンタの気持ちに対して何の返事も返してない。だからアンタにオレを引き止める権利なんてない」
「…っ…」  
 雷牙の言葉に赤屍は短く息を詰めた。雷牙の言い分は最もだ。雷牙は赤屍の行動を受け入れはしたが、言葉ではっきりと彼を認めた訳ではなかった。  
 それはまだ雷牙と赤屍の関係が未だ赤屍の一方通行な片思いという状態にあるということで、雷牙の行動に一々口出し出来る立場でないということでもある。
「放してくれ、赤屍…」  
 雷牙が念を押すようにそう言った。すると、赤屍は名残惜しいという様子でそっと雷牙の体を解放した。
「雷牙君…」  
 赤屍は自分の腕の中からスルリと雷牙が抜け出すと、ポツリと呟いた。本気で雷牙を手放したくないらしい。  
 雷牙はそんな彼の様子に一つ長い溜息をついた。必要とされるのは正直に嬉しいのだが、生憎雷牙の体は一つしかない。ここにいて欲しいと言われても、今はそれを叶える事は出来ないのだ。
「オレは銀次のように素直じゃないから今はアンタの気持ちに上手く応えられない。それでもアンタがオレを好きだと言えるなら…アンタのこと真剣に考えられるようになるかもしれない」  
 そう言って雷牙は赤屍の手に定期券サイズほどの紙を握らせた。それを受け取った赤屍はそこに書かれた内容に、落ち込んだ気分を多少回復させた。
「これは…っ」  
 そこには雷牙の名前と携帯電話の番号が書いてあった。
「…アンタがオレに会いたいって時は、その番号に電話してこい。時間があったら来てやるよ、それなら文句はないだろ?」  
 それはようするに、赤屍の望む時には赤屍の元へ出向いても構わないと言っているのと同じである。雷牙のそんな言葉が嬉しくて、赤屍は先程注意されたにも関わらず雷牙の体を再び腕の中へと導いた。
 今度は雷牙も抵抗しなかった。
「その言葉を信じて良いのですね?本当に時間があれ ば来て、くれるのですね…ここへ」  
 念を押すように問いかける赤屍に、雷牙は自分を抱き締める彼の腕を取り、その手の甲に軽く口付けをした。それは雷牙なりの彼への返事であった。  
 今はとても言葉にして言えないから、今の精一杯の気持ちを、雷牙はその口付けに閉じ込めて赤屍に贈ったのだ。
「必ずここで待っています…きっと来て下さいね、雷牙君…」
「時間があったら、な…」
「…はい」  
 離れるのを惜しむように互いの温もりを感じ合って、やがて雷牙は無言で赤屍の腕から離れた。そして、帰りを待つ人の元へと帰って行く雷牙の背中を、赤屍も無言で見送った―――――。



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