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窓の隙間から漏れてくる光に、銀次は眠りから覚醒してベッドの上へ起き上がった。目を擦りながらカーテンを開けると眩い光が室内に入ってくる。窓から晴れ渡る空を一望できる、清々しい天気であった。
銀次の背後からうぅーんと唸る声が聞こえ、銀次は声のした方へ体を向けた。すると、いかにもまだ眠いという表情で蛮が目を擦っている。銀次がカーテンを開けた為に入ってきた光に目が覚めてしまったらしい。
「…お早う、蛮ちゃん」
「くぁ〜、眠ィ…」
銀次が蛮に挨拶すると、蛮は大口を開けて欠伸をしながらそう返事した。昨晩も二人して遅くまで雷牙を探していたから無理もないのだが。
「でももうお昼過ぎてるよ、蛮ちゃん…いい加減起きなきゃ」
二度寝に突入しそうな蛮の体を揺さぶりながら銀次が言う。時計の針は既に十二時を越していた。
「蛮ちゃんってば〜…っ」
それでも起きる気配を見せない蛮に、銀次は困った顔で蛮の名を呼んだ。しかし蛮はやはりベッドから出ようとしない。
「起きてよ、蛮ちゃ〜ん…っ」
なかなかしぶとい蛮の様子に今度は布団を剥ぎ取ってやろうとするが、蛮が布団を抱き込んでしまっている為にそれも適わない。
仕方なく銀次は蛮を起こすのを諦めて、自分だけベッドから出て着替え始める。夜中に戻ってきてそのまま寝たのでお腹が空いている銀次は、波児にご飯を用意してもらうべく大急ぎで着替えを済ませた。
蛮を部屋に残し廊下へ出ると、階下から賑やかな声が聞こえてきた。夏実とレナ、それにヘヴンの声も聞こえる。 楽しげなその会話の中によく知った声が聞こえて、銀次は慌てて階段を駆け下りていった。HONKYTONKの店内へと続くドアを勢い良く開け放って、躍り出るように銀次はその中へ入った。
「おー銀次、おそようさん」
突然ドアを開けて入ってきた銀次に、店主の波児はこんな時刻に起きてきた事を茶化すようにそう言った。
だが、銀次はそんな彼に返事を返さずただ一点を真っ直ぐに見ていた。その視線の先に、昨夜まで探していた人物がいたからである。
「…雷牙…っ」
銀次はそう言って、カウンター席で珈琲を飲んでいた雷牙に駆け寄って抱きついた。雷牙はそれを受け止めてやる。
「無事だったんだね…今までドコにいたの?オレも蛮ちゃんもすっごく心配したんだよ?」
雷牙が無事戻ってきた事が余程嬉しいのか、涙を浮かべて縋りつく銀次を、雷牙は優しく抱き止めている。
「心配させて悪かった、銀次…。お前達も無事だったんだな」
心配をかけた事を謝罪する雷牙に、銀次は雷牙は家族だから心配するなって言われても心配しちゃうよとにっこり微笑った。
「オレも蛮ちゃんも無事だったよ。雷牙は…?怪我とかしてない?」
雷牙によって助けられた二人は怪我を負うことはなかったが、まともに爆発に巻き込まれた雷牙が無傷で済んだとは思えず、銀次は心配そうに雷牙を見ながら尋ねる。
「…怪我はしたけどもうほとんど治っているから心配は要らない、オレは大丈夫だ…銀次」
「ホント?…良かった…」
ホッと胸を撫で下ろして銀次は、抱きついていた雷牙から離れてその隣の席へ腰を下ろした。
「良かったわねー銀ちゃん、雷牙くんが戻ってきて」
ヘヴンが安堵のあまりにタレてしまった銀次を柔らかな太腿の上に座らせ、その頭を撫でながら言った。
「はい、オレは今すごく嬉しいのです!雷牙が帰ってきてとても安心したのです…っ」
しゅぴっと短くなった右手を上げて、銀次は嬉しさを全身で表現する。そんな微笑ましい光景に、場の空気はとても暖かく、かつ柔らかくなった。
「…雷牙…?お前いつ帰ってきたんだよ…」
再び響いたドアの音と共に、蛮がそう呟きながら店内へと入ってきた。どうやら二度寝に失敗して起きざるを得なくなったらしい。
「おう蛮、お前もやっと起きてきたか」
波児が寝癖もそのままに店内へ入ってきた蛮を見てそう言うが、それも先程の銀次同様軽くスルーされてしまう。「…蛮…」
無言で側まで来た蛮に、雷牙は彼を見上げて呟く。心配していたと銀次が言った通り、蛮の視線はそういう表情をしているのが分かった。
頭の上に手を置かれ、くしゃくしゃと髪を掻き乱されるのを雷牙は抵抗もせず受け、蛮の口が開かれるのを待った。
「…ったく、連絡一つもよこさねーで何処で油売ってたんだ?心配させやがって、バカヤロー…」
口ではそう悪態をつきながら、しかし蛮の表情はとても穏やかであった。蛮も銀次と同じく雷牙が無事戻ってきた事が嬉しいのだ。
「そんな言い方してるけどホントは蛮ちゃんも嬉しいんでしょ?素直じゃないなー…」
そんな蛮を、横から銀次がそんな風に突っ込む。それに対して蛮はややムッとしたが、言ったのが銀次なのでそれ以上怒りはしなかった。
「悪いかよ、素直じゃなくて」
「蛮さんが素直だったら天地がひっくり返っちゃいますよね〜…」
「いやいや、地球が滅亡するな」
銀次に素直でないと言われた事に対して返事する蛮に、夏実と波児が横から口を挟む。それを聞いて、ヘヴンが受けたらしく大笑いまでしていた。
「テメーらドサクサに紛れて何好き勝手な事ほざいてやがる!?」
「ああぁ…蛮ちゃん、落ち着いて〜」
言いたい放題に暴言を吐く波児達に蛮がキレるのを、銀次は必死で止めようとした。
そんなやり取りを見て、帰ってきたのだと、雷牙は思った。自分にとって大切な者達がいる場所へと帰ってきたと。「…蛮、銀次…ありがとう、オレを心配してくれて」
雷牙が波児達に突っかかる蛮と、それを止めようと奮闘する銀次に、そう、感謝の気持ちを言葉にして伝えた。
「…へっ、今更何言ってんだ」
「雷牙はオレ達の大切な仲間なんだよ?心配して当たり前だよ」
蛮がさも当然とばかりに不敵に笑い、銀次が明るく微笑みながら言った。それにつられるように微笑った雷牙の表情は、とても綺麗で美しいものだった―――――。
コンコン、と部屋のドアをノックする音が廊下に響いた。ドアに掛けられた木のプレートに『RAIGA』と書いてある事から、ここが雷牙の部屋である事が窺える。そのドアの前に今、銀次が立っていた。HONKYTONKから戻ってくるまでの間に、蛮抜きで話したい事があるからと、雷牙に呼ばれていたのだ。
ノックをして待っていると、ドアが開いて中から雷牙が入るように促したので、銀次は中へ入ってそうっとドアを閉めた。室内に入ると手近な所に腰を下ろし座る。雷牙はベッドの上に腰を下ろした。
「…話したい事って、何?」
カーッペットの敷かれた床に腰を下ろした銀次が雷牙を見上げながらそう尋ねる。
「…さっきオレが今まで何処にいたか訊いただろう?」
「うん…ドコにいたの?」
HONKYTONKで再会した時、銀次は雷牙に今まで何処にいたのかと言っていた。それを教えてくれるらしい。
「オレはあの時…爆発から逃れられなくて怪我をしたんだ。そんなに重傷ではなかったが…何とか現場から離れた所で気を失って、気が付いたら赤屍の家にいた」
雷牙の話を聞きながらくるくると表情を変えていた銀次が、突然出てきた思わぬ名前に激しく驚く。
「ええっ!?あ、赤屍って…あの赤屍さんっ!?」
銀次が驚くのに対して、雷牙は冷静に頷いて答える。
「ああ…気を失ってたオレを見つけて助けてくれたんだ。怪我の手当てまでしてくれて…」
「どうしてどうしてっ?あの人がどうして雷牙を助けてくれたの…っ?」
赤屍がどういう人物なのか知っている銀次は、彼が人助けを、しかも仕事の都合上敵になる事もある雷牙を助ける理由が分からない。
不思議そうに目をパチクリさせながら、雷牙にそう訊いた。
「…アイツはオレの事を好きなんだと、そう、言った。好きだから放っておけなかったと、そう言ったんだ…」
「えぇ…っ!?す、好きって…赤屍さんが、雷牙の事を…っ!?」
雷牙の口から語られた言葉に心底驚いて、銀次はそう叫んでしまった。 雷牙が慌てて銀次の口を自分の手で覆う。一つ飛んで隣の蛮の部屋に聞こえては大変だ。
「…そ、それって冗談とかじゃなく本気で、そう言ったの…?」
注意されてしまったので、心持ち声を潜めて銀次は雷牙にそんな風に尋ねた。そう尋ねられて、雷牙は首を縦に振ってああ、と頷く。
「そ、それで雷牙はどうしたの?そんな事言われて、どう返事したの…?」
あの赤屍が雷牙をそういう目で見ていたというのはとても衝撃の事実であるが、それ以上に蛮に想いを寄せている雷牙がどう答えたのかが気になって、銀次はそう訊いていた。
「オレは…分からないと、そんな言葉は信じられないと言った…。でもアイツは、オレが他の誰かを見ている事を知っていて…それでもオレを想う気持ちは止められないんだと、話してくれた…」
とても優しく穏やかな表情で語られた赤屍の言葉を、雷牙は銀次に話して聞かせた。銀次は黙ってそれを聞いていた。柔らかな顔で語る兄の話を。
だが、意を決して銀次は口を開いた。自分達が前へ進む為に必要になる言葉を言う為に。
「…ねぇ、その『他の誰か』って…蛮ちゃんの事だよね?そうなんでしょ…?」
「…っ」
銀次の口から出た名前に反応して、雷牙は息を小さく詰めた。雷牙の視線と、銀次の視線がぴったりと合う。
「オレ、知ってるよ…雷牙が蛮ちゃんの事好きだって。それに雷牙も知ってるよね、オレも蛮ちゃんを好きなんだって事…」
「…解っていたのか?」
雷牙は双眸を見開いて、そう言った。よもや銀次がそこまで理解しているとは思っていなかったらしい。
「…解るよ、オレ達双子なんだよ?隠そうとしても解っちゃうよ」
銀次は真っ直ぐに雷牙を見ながら言う。先に視線を逸らしたのは雷牙の方だった。
「…そうか、解ってしまう、か…」
ハーッと息を吐いて、雷牙は納得したように呟いた。この弟の前では嘘など吐くだけ無駄というものである。
「お前には負けたよ…銀次、蛮を幸せにしてやれ」
「え…?」
逸らした顔を銀次の方に戻して、雷牙はそう言った。銀次は告げられた内容を上手く処理出来ずに、目を丸くする。
「オレは…蛮が誰を見ているのかもうとっくに気づいてた…。アイツが必要としてるのはお前だ、オレじゃない…」
「…でも、それじゃあ雷牙の気持ちは?雷牙だって蛮ちゃんの事…っ」
まるで銀次に蛮を譲るとでも言うような雷牙の言葉に、銀次は納得出来ずにそう叫ぶ。それに対し、雷牙は首を横に振って、静かに答えた。
「オレの事は気にしなくていい…蛮に未練がない訳じゃないけど、オレは赤屍の言葉を信じてみようと思ってるから…」
「赤屍さんの…言葉?」
兄としての顔というより恋をしている者の顔で話す雷牙に、銀次は雷牙の話す内容の一部を反芻して問う。
「…アイツはオレを心から求めてくれてる…アイツの言葉や態度がとても優しくて温かいから、オレはその温もりを離したくないと…今はそう思い始めてる…」
銀次が問いかけたのに対して返ってきた雷牙の言葉は、思いがけないものだった。
「雷牙、それって…赤屍さんの事…」
「…まだそうだとは言い切れない、だけど、アイツを受け入れて…オレは少しずつアイツに惹かれ始めてる。だから…片思いを続けるより、真剣にアイツの事を考えたいんだ」
銀次が問いかけの途中で口篭った内容を察して、雷牙は自分の今の心境を話した。赤屍を好きになったとは確信出来ないが、真剣に彼と付き合っていきたいのだという事を。
「だからお前はオレに遠慮なんかしなくていいから、蛮に気持ちを伝えてやれ…」
まだどこか納得していない様子の銀次に、雷牙は安心させるようにそう話してやった。銀次が不安げに瞳を揺らして雷牙を見る。
「…いいの?オレ、蛮ちゃんに告白してもいいの?」
本当にいいのかと何度も訊く銀次を、雷牙は優しい微笑みを掛け、いいんだと言って安心させてやった。
雷牙からOKが出て、銀次は漸く笑顔を見せた。例え雷牙がどう言っても、やはり彼は自分に蛮を譲ってくれたのだと、そう思うと雷牙への感謝の気持ちが込み上げる。
「…ごめんね、それからありがとう。オレがこんな事言うのはおこがましいかもだけど…雷牙もちゃんと幸せになってね?」
「…ああ…約束する」
銀次がそう話すのを聞いて、雷牙はそんな風に答えた。
果たして雷牙の言うように赤屍が彼に対して優しいのか銀次には計り知れないが、それでも雷牙が幸せになる事を願わずにはいられない。 たった一人の兄弟だからこそ、雷牙にも幸せでいて欲しい…銀次はそう、心から願いを懸けた―――――。
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